コラム
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「大転職時代」の到来とリテンションの在り方
かつての日本企業は終身雇用や新卒一括採用が基本だったため、「転職」に対してマイナスイメージが強く、実際に海外と比べても転職率が低い傾向にありました。しかし近年、企業を取り巻く環境の変化や、若い世代を中心としたキャリア観・価値観の多様化によって、企業と従業員の関係性も大きく変わりつつあります。これに伴い、「転職」にポジティブなイメージを持つ人が増え、「大転職時代 」が到来したと言われています。この時代に、企業は人材とどのように向き合い、どのようにリテンション施策を進めればよいのでしょうか。
変わりつつある日本の転職市場
海外と比較すると、日本はこれまで転職する人の割合は少ない傾向にありました。しかし、近年その傾向に変化が見られ、転職率は今後も増加が予想されています。マイナビが実施した『転職動向調査2024年版』によると、2023年の正社員転職率は、過去最高水準だった2022年の7.6%と同水準を維持。また、転職者の約半数にあたる47.6%は30~50代の男性で、ミドル世代の転職率が徐々に高まっていることが伺えます。
indeedが行った『「転職」に関する5カ国(日米英独韓)比較調査』によると、転職経験者の割合は、イギリス92.7%、アメリカ90.1%、ドイツ84.2%、韓国75.8%に対し、日本は59.7%で最下位でした。これは、日本人が必ずしも現状に満足しているということではありません。勤務先に対する満足度はアメリカが8割超、他4カ国も7割を超える中、日本は約4割と、ここでも低水準です。勤務先に満足していないのに転職率も低いのはなぜなのでしょうか。そこで転職しない理由をたずねたところ、他国は「転職するほどの不満がない」が上位を占めたのに対し、日本は「転職したい会社・仕事が見つからない」が最も多い回答となりました。
しかし一方で、転職に対するイメージをたずねてみると、「新しいことにチャレンジできる」「職場環境を変えられる」「スキルアップできる」など、日本でも他4カ国と共通してポジティブに捉えている人が多くなっています。つまり、これらの調査結果から総合的に考えると、潜在的な転職予備軍は決して少ないわけではなく、転職できる機会さえ増えてくれば、他国並みの転職割合になると言えるでしょう。
会社・従業員・社会の変化が転職社会を作る
このように近年は日本でも転職率が高まりつつありますが、これは決して一過性の現象ではありません。その背景には、「①企業」「②従業員」「③社会」における不可逆的な変化があると考えられます。
①企業の変化
まず、企業側の変化としては、年功序列・終身雇用の維持が難しくなってきたことが挙げられます。1990年代以降、バブル崩壊による業績悪化でコスト削減が必要となり、多くの企業が成果主義を導入しました。また、年金制度を維持するため、シニア雇用・再雇用制度などの導入により雇用延長が図られましたが、その対応は多くの場合、役職定年や一律減給など、処遇の切り下げを伴うものでした。さらに、企業価値向上のために、事業の選択と集中が一般化し、M&Aなどによる組織再編も増加。長期の雇用を保証するのは難しい状況に変わってきています。
②従業員の変化
従業員側でも、自分をより高く評価してくれる企業に転職しようとする意識が高まっています。これは、企業の変化に対する防衛的な意識の変化といえます。これにより、従来のような長期的な精算関係(若手のうちは会社に尽くし、後に年功を評価してもらう)ではなく、現在の貢献に対してリアルタイムで評価を受ける、短期的な精算関係を望む姿勢が広がってきています。また、D&I(ダイバーシティ&インクルージョン)やワークライフバランスの浸透によって、限られた時間で自らの市場価値を高めたいという意識が高まり、自らのキャリア志向と効率的な成長を重視するようになってきています。これらの複合的な変化により、従業員にとって企業は、生涯を通じて所属する場所ではなく、状況によって選択するものへと変わっているのです。
③社会の変化
転職が一般化しつつある背景には、社会の変化もあります。ここ10年で人材紹介市場は大きく伸び、民営職業紹介事業所数は2013年から2023年で1.6倍に。また、転職サービスdoda(デューダ)による『入社直後の4月における新社会人の登録者数』の調査では、2024年4月の登録者数が2011年比で約28倍と、急速な変化を見せています。ダイレクトリクルーティングの利用率も高まり、マネジメントポジションの人材獲得競争も激化しています。こうした転職市場の拡大、採用手法の多様化、転職サイトなどのインフラ整備により、あらゆる層の求職者が採用情報にアクセスしやすくなりました。待遇・雇用条件だけでなくキャリアアップの観点からも、常に他社と比較検討することが当たり前の時代になっています。
このような複合的な要因がジョブ・人材ベースの転職市場の形成と成長の背景になっていると考えられます。
「新社会人の転職サイト登録動向2024年版」プレスリリースより引用
https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000425.000016455.html
「転職」が起こる力学とは?
転職は、現状に対する不満や別の企業に対して感じる魅力などが、一定の閾値(今の所属企業に留まるメリットや愛着など)を上回った時に起こります。
転職は「惹きつける力 < 押す力+引く力」で生じる |
企業に人材を引き留める様々な要因を、ここでは仮に「惹きつける力」と呼びます。そして、所属企業から離れたいと感じる要因のことを「押す力」、他企業の魅力に触れる機会を「引く力」としましょう。
かつて一つの会社で働くのが当たり前だった時代は、終身雇用とそれに付随する福利厚生により「惹きつける力」が非常に大きく、一方で外的要因としての「引く力」はさほど強くなかったため、会社の業績や人間関係などの「押す力」が強くならない限り、従業員は会社に残っていました。しかし今後は、転職市場の拡大・充実により「引く力」がますます強くなっていくため、たとえ報酬・待遇の引き上げや、労働環境の整備によって「押す力」を解決したとしても、「惹きつける力」がよほど大きくなければリテンションは難しくなっていくでしょう。押し出し要因の改善だけでなく、自社の魅力を掘り下げることが、今後ますます重要になります。
人材を定着させるための条件
このような状況下でリテンションを図るには、企業と多様な人材が互いにWIN-WINの関係を築くことが重要です。2023年に一般社団法人日本経済調査協議会が発表した『人的資本経営と「働くあなた」』レポートでは、経営戦略と人材戦略を接続するためのポイントとして、以下の5つを提唱しています。
- Attract:優れた人材を惹きつける
- Bridge:従業員の思いと経営戦略をつなぐ
- Career Ownership:主体的なキャリアを形成し持続的成長を促す
- Diversity:多様な知と経験を価値創造に活かす
- Equity&Engagement:個の違いを踏まえて支援し仕事への熱意を引き出す
https://www.nikkeicho.or.jp/result/jinzai/
人的資本経営や人的情報開示が注目されている昨今ですが、本来、企業と従業員が上記のような観点で共に取り組み、築き上げていくことが本質であり、人的情報の開示はその結果にすぎません。「大転職時代」が到来した今、自社の「惹きつける力」が何なのか、自社のアイデンティティを改めて分析し、見つめ直す時期ではないでしょうか。